210508蜻蛉日記⑥「ライバル 町の小路の女」

兼家の愛人となった町の小路の女の話をする。兼家の子を出産し、しかしやがて飽きられていく。

「朗読1」町の小路の女が男の子を出産する。それまでのことが、作者を極度に怒らせる。

    まず女の方違えで作家の前通ったこと、そして、兼家がぬけぬけと言い訳をした事。

    来たが追い返してしまう。

この時のところに子産むべきほどになりて、よきかたえらびて、ひとつ車には乗りて、一京響きつづけて、いと聞きにくきまでののしりて、この門の前よりも渡るものか。われはわれにもあらず、ものだに言はねば、見る人、使ふよりはじめて、
「いと胸いたきわざかな。世に道しもこそはあれ」など、言ひののしるを聞くに、ただ死ぬるものにもがなと思へど、心にしかなはねば、いまよりのち、たけくはあらずとも、たえて見えずにあらむ、いみじう心憂しと思ひてあるに、三四日ばかり

ありて、文あり。あさましうつべたましと思ふ思ふ見れば、「このころここにわづらはるることありて、えまいらぬを、昨日なむ、たひらかにものせらるめる。穢らひもや忌むとてなむ」とぞある。あさましうめづらかなることかぎりなし。ただ「給はりぬ」とて、やりつ。使ひに人間ひければ、「男君になむ」と言ふを聞くに、いと胸塞がる。三四日ばかりありて、みづからいともつれなく見えたり。なにか来たるとて

見入れねば、いとはしたなく帰ること、たびたびになりぬ。

「現代語訳」

あの今を時めく女の所では、出産予定となって、よい方向を選んで、あの人も同じ車に乗って、京都中に響き渡るくらいに車を重ねて、騒ぎ立てて、こともあろうに私の家の門の前を通っていく。私は

茫然として、言葉もなく黙っていたら、それを見て、召使をはじめ皆が「本当に胸が痛くなる光景ですね。道はいくらでもあるのによりによって」と大声で言っているのを聞くと、いっそ死ねるならと思うが、思いのままにならないので、せめて全く姿を見せないで欲しいと思っていると、三四日ほどして手紙があった。呆れた、冷たいものだと思いつつ見ると「最近こちらで臥せっている人がいて、そちらへ

伺えなかったのです。昨日無事に出産した。その穢れがあって参上しなかったのです」とある。呆れた、何ということだ。

ただ「手紙頂きました」とだけ返事した。その使いの者に、召使が聞くと「男の子です」と答えるのを

聞いて、更に胸が塞がる。三四日ほどして、本人が姿を現したので、何の用かと見ていると、相手にもしないので所在なく帰っていくことが度々であった。

「講師」

源氏物語の六条の御息所が感じた屈辱と似ているように思える。葵上が源氏の子を身籠り、お産をすることに憎悪した六条御息所。後に六条御息所は生霊となって、葵上を祟り殺したのである。
作者が生霊にならずに済んだのは、彼女には蜻蛉日記の執筆があったからで、文学が救ったので

あった。

作者が、町の小路の女に怒り狂っている様子を描く。

「朗読2」小路の女は、兼家の服を送ってきて、縫ってくれと言う。余りの事に腹が立つので、

     そのまま送り返してしまう。二十日以上訪れもない。

七月になりて、相撲のころ、古き新しきと、ひとくだりづつひき包みて、「これせさせたまへ」とてはあるものか。

見るに目くるるここちぞする。古代の人は、「あないとほし。かしこにはえつかうまつらずこそはあらめ」「なま心ある人などさし集まりて、すずろはし。えせで、わろからむをだにこそ聞かめ」などさだめて、

返しやりつるもしるく、ここかしこになむもて散りてすると聞く。かしこにも、いと情なしとかやあらむ。

二十余日おとづれもなし。

「現代語」

七月になって、小路の女は兼家の着物を送ってきて、これを仕立ててくれと言う。何ということだろう。母は「お気の毒な、向こうでは出来ないのでしょう」などと言うが、召使などは「向こうは裁縫など出来ないので、突き返すと悪口など言うでしょうが、せいぜいその悪口を聞いてやりましょう」などと言って、そのまま送り返してしまう。
案の定、あちこちに頼んで仕立てているということだ。兼家も随分思いやりのない仕打ちと思ったのか、二十日以上も
来ない。

 

この町の小路の女も、兼家に飽きられる時が来る。

「朗読3」町の小路の女は出産後、あの人との仲はしっくりしてない様だ。いい気味。子まで

     死んだ。最近は第一夫人の所に行っているようだ。こちらには時々。子供が片言で、

     「近いうちに来るよ」と片言で真似ている。

かうようなるほどに、かのめでたきところには、子産みてしより、すさましげになりにたべかめれば、人憎かりし心思はせばやと思ひしを、さようになりにしはてはては、産みののしり子さへ死ぬるものか。孫王の、ひがみたりし皇子の落胤なり。

いふかひなくわろきことかぎりなし。ただこのごろの知らぬ人のもて騒ぎつるにかかりてありつるを、にはかにかくなりぬれば、いかなるここちかはしけむ。わが思ふにはいますこしうちまさりて嘆くらむと思ふに、いまぞ胸はあきたる。

いまぞ例のところにうち払ひてなど聞く。されど、ここには例のほどにぞ通ふめれば、ともすれば心づきなうのみ思ふほどに、ここなる人片言などするほどになりてぞある。

出づとては、かならず「いま来むよ」と言ふも、聞きもたりて、まねびありく。

現代語訳」

そうこうしている内に、あの人はときめいていた町の小路の女と、出産後しっくりしない様で、意地悪くなっていた私は、生き永らえさせて、私が悩んだようにしてやりたいと思っていた所、大騒ぎして産んだ子までが死んでしまった。

天皇の孫にあたる女で、世を拗ねた皇子の落胤である。言いようもない詰まらない素性の女である。ただそんなことも知らない最近の人たちがチヤホヤするのであるが、こんな風になったのでどんな

気持ちであろうか。

私が悩んだより、余計に悩んでいるかと思うと胸がすっとする。あの人は、いつもの方(時姫)の所に

通っているという噂である。しかしこちらへは、時々来る程度なので、不満に思うが、私の幼子が片言など言うようになっていた。

あの人が、帰り際に必ず「近いうちに来るよ」と言うのを聞いて、頻りに真似をしている。

「講師」

怒りの凄まじさは、源氏物語の六条御息所そのものである。作者の子供、道綱は三歳である。