210410蜻蛉日記②「序文と御曹司からの求愛」
作者は藤原孝標の娘であり、藤原兼家(摂政・関白)の第二夫人であり、一般的には藤原道綱の母と言われる。
兼家の三人の息子も関白となり、また娘の二人は、天皇の母となる名門貴族である。
作者は、和歌の上手で知られ、日本三大美人の一人とも言われる。
蜻蛉日記の序文から読んでいく。いわゆる序文ではなく、上巻を書き終えてからの感想とでも言う
べきものか。
「朗読1」いい加減に生きて来た不器量な私も、世の中の物語がいい加減なので、私のことを書いたらもっとマシだろうと書いた。記憶が薄れている部分もある。
かくありし時過ぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり。かたちとても人にも似ず、心魂もあるにもあらで、かうものの要にもあらであるも、ことわりと思ひつつ、ただ臥し起き明かし暮らすままに、世の中に多かる物語のはしなどを見れば、世に多かるそらごとだにあり、人にもあらぬ身の上まで書き日記して、めづらしきさまにもありなむ。天下の人の品高きやと問はむためしにもせよかし、とおぼゆるも、過ぎにし年月ごろのこともおぼつかなかりければ、さてもありぬべきことなむ多かりける。
「現代語訳」器量も良くないぼんやりしている私だけど、世の中の物語はいい加減だから、
一つ書いてみるか こんな感じ?
今までの時間が空しく過ぎて、まことに頼りなく、世の中を生きている女がいた。容貌も人並みでも
ないし、思慮分別もないし、こんな役立たずの状態でいるのも当然だと思い、ただ何となく日を過ごしているままに、世の中で流行っている物語など見ていると、いい加減な作り事がもてはやされているのだから、自分の人並みでない身の上を日記として書いたら、珍しく思われるであろう。
高い身分の人との結婚はどんなものかと尋ねる人がいたら、参考になるかもしれない。
過ぎ去った年月のことは、記憶が薄れてはっきりしないが、あやふやな記述も多くなってしまった。
「講師」
19歳で結婚してから33歳までのことが書いてある。この序は普通の序ではなく、上巻を書き終えて
から作ったものである。和歌の上手、美人、高位の貴族との結婚なのに、随分遜った物言いで
始まっている。
「朗読2」右兵衛佐・藤原兼家からの単刀直入な強引な求婚の場面
さて、あへなかりしすき事どものそれはそれとして、柏木の木高きわたりより、かく言はせむと思ふことあり。
例の人は、案内するたより、もしはなま女などして、言はすることこそあれ。これは、親とおぼしき人に、たはぶれにまめやかにもほのめかししに、便なきことと言ひつるを知らず顔に、馬にはひ乗りたる人して、うちたたかす。
「現代語訳」
さて、何人かの男とあっけなく終わった歌のやり取りなどはともかくとして、権門の御曹司の左兵衛佐からの求婚があった。普通の人なら、手づるを尋ねたり、または適当な女房などを間に立てたりして、取り次がせるものであるのに。
この人は、私の親に冗談とも本気とも取れないようなほのめかしをしたので、「とんでもないこと」とお答えしたのに、そんなことにはお構いなしに、馬に乗った使者に、我が家の門を叩かせるのである。
「朗読3」馬に乗った使者に誰ですがと聞くまでもない大騒ぎ。使者はつたない歌を携えて来た。
誰など言はするには、おぼつかなからず騒いだれば、もてわづらひ、取り入れてもて騒ぐ。見れば、紙なども例のようにもあらず、いたらぬところなしと聞きふるしたる手も、あらじとおぼゆるまで悪しければ、いとぞあやしき。ありける言は、
「音にのみ聞けばかなしなほととぎすこと語らはむと思ふ心あり」 とばかりぞある。 下の句 字余り
「現代語訳」
どなたですかと尋ねるまでもない騒ぎで、手紙を受け取りまた一騒ぎ。紙なども凝ったものではなく、筆遣いも筆上手と聞いていた様ではなく、拙いので何とも腑に落ちない。歌は
「噂を聞いているだけでお会いできないのは残念なことです。ぜひお会いしたいものです。」
「朗読4」
「いかに、返りごとはすべくやある。」などさだむるほどに、古代なる人ありて、「なほ」とかしこまりて書かすれば、
「語らはむ人なき里にほととぎすかひなかるべき声なふるしそ」
「現代語訳」
「どうしたものでしょう。ご返事しなければいけないのかしら」などと相談していると、古風な母が「お返事を」と言うので「お相手できるような者はこの辺りにはおりません。いくら仰っても無駄でしょう。」
「コメント」
名うての美貌と和歌上手なので、引く手あまたであったのだろう。それに目を付けたのが関白の息子。