201031更級日記㉗「菅原孝標女と浜松中納言物語」
日本人の青年貴族が、日本と中国で様々な恋愛を繰り広げる壮大なスケ-ルの長編物語。前回呼んだ「夜の寝覚」と同じように「浜松中納言物語」も、作者が菅原孝標女である確証はないが、内容は更科日記と近い書き方である。夢のお告げ,亡くなった人が別の人に生まれ変わるという輪廻転生。
「朗読1」中納言が中国で夜空の月を見ながら、日本を思いだしている場面。
月いみじう霞みおもしろきに、花はひとつににわーほひ合ひたる夜のけしき、たぐひなきにも、住み慣れし世の空もかうぞあらむかし、と今宵の月を見つつ思ひ出で給ふ人もあらむ。内裏の御遊びありし折々、去年の春、かやうに月の明かかりし夜、式部卿の宮に参りたりしかば、いみじう別れを惜しみ給ひて、「西へ傾く」とのたまひしその面影、かすたがたふ思ひ出づるに、涙もとどまらず>
「あさみどり霞にまがふ月見れば見し夜の空ぞいとど恋しき」
「現代語訳」
月がとても明るくてこころが晴れ晴れとする。花が月の光と一緒になって比べようもなく美しい今日の月を見るにつけても、私を思い出している人もいるだろう。去年式部卿の宮に参上したところ、別れを惜しんで「西に傾く」という歌を歌われたことを思い出して涙が止まらない。「浅緑に霞んでいる月を見ていると、日本の夜空がとても恋しくなってくる」
ここで「更級日記」で、作者が風流な貴公子との季節論争の時に詠んだ歌思いだす。よく似ている。
「あさみどり花も一つに霞みつつおぼろにみゆる春の夜の月」 新古今に採用
よく似た表現、歌が「更級日記」「浜松中納言物語」にも沢山ある。また藤原定家の歌も似ているので、参考までに。
「大空は梅の匂いに霞みつつ曇りの果てぬ春の夜の月」 新古今
「三島由紀夫 豊穣の海」
講師が「浜松中納言物語」を知ったのは、三島由紀夫のライフワ-ク「豊穣の海」四部作を読んだ時である。夢と輪廻転生が繰り広げられる長編小説である。そして三島は夢と輪廻転生は「浜松中納言物語」から着想を得たと言っている。
(主人公の遣唐使で行った日本人青年貴族と唐后(唐の皇后)との関係に絞って話す。)
前提に主人公の亡父が中国の皇太子に生まれ変わっていることがある。その王子の母が唐后である。そして運命の契りを交わし、中納言の子を懐妊し出産する。源氏物語の光源氏と藤壺、おぼろ月夜との関係を思い起こさせる。
「朗読2」唐后と偶然再会する。その場面の描写。前世からの因縁だと二人は再認識する。
うったへにかうておはすらむと思ひ寄らむやは。たぐひあらじとおもひわたるを、かう似たてまつりたる人こそありけれど、心もそらに乱れて、そるべきにや、のちの行くさきのたどりもなく成りて、やうやう人静まるほどに入りぬ。
「現代語訳」
誰もが全く予想していなかったことであるが、その家に入ってきたのが中納言であることが判ったので、大騒ぎをしないで冷静に受け入れた。
講師訳
恋しい唐后がこんな家にいるとは思いもしなかった。中納言は我を忘れて、忍び込んで契りを結んだ。そして唐后は言った。「貴方との関係は宿命ですね」
唐后の父は中国の皇族、母は日本人。帰国することになった中納言に、唐后は自分の出自を告白する。母は離婚して日本に帰り、再婚して吉野で尼になっている。一人の娘がいる、唐后の義妹である。
帰国した中納言に会いたいから唐后は、その妹に生まれ変わって、中納言に逢おうとする。そして中納言の夢に「貴方に逢いたいので、生まれ変わって会いに行きます」という。
「ここでこの物語を描いた作者の気持ち考えてみる」
源氏物語を読み込んでいる内に、私ならこう書くという思いが強まり、対には「夜の寝覚め」「浜松中納言物語」を書いたのであろう。では具体的に、源氏物語のどこに不満を抱いたのであろうか。
宇治十帖を例に説明してみる。
薫大将は柏木と女三宮との不義の子。この事に気付いていた薫は仏を信じる真面目な青年に育つ。宇治在住の八宮という人が仏に帰依していると聞き、訪ねて教えを乞う。八の宮には二人の娘がいて、大い君(姉)、中君(妹)。薫は姉に好意を寄せるが、姉は辞退して妹を勧める。薫は親友の匂宮に中君を勧める。そこで大い君が病没するのて、薫は中の君に近づく。既に匂宮と結ばれている中の君は、義母妹の浮舟を薫に紹介する。大い君とそっくりの浮舟を薫は愛するが、浮舟は匂宮とも結ばれてしまう。
この三角関係に悩んだ浮舟は、宇治川に入水するが、助けられて尼になり比叡山に暮らす。
これを知った薫は浮舟を訪ね、元に戻るように説得する所で、源氏物語は終わる。
「作者の考え方」
「浜松中納言物語」では、唐后は生まれ変わって日本に来て中納言と共に暮らすことを決心する。故に作者の意見は、浮舟が還俗して薫と共に暮し、薫と共に自らを救うという選択をすべきと言っている様に思える。
「コメント」
ここまで源氏物語の影響があるという意見は、これまた源氏物語研究者でないと出てこない意見であろう。しかし、作者はそう考えていたのが、正しいようにも思われる。それにしても両物語共に荒唐無稽、波乱万丈で、開いた口がふさがらないスト-リ-。作者の空想力には脱帽。