200411②「更級日記(2)『都への旅(その1)乳母を見舞う』
9月17日の早朝に出発する。昔下総に浜野(地名)の長者という人がいたという。布を沢山織らせて晒していた家の跡という深い川を渡る。昔の玄関の柱が残っていて、大きな柱が川の中に四本立っている。それを見て皆が歌を詠むのを見て私も詠んだ。
朽ちもせぬ この川柱残らずは 昔の跡を いかでしらまし
→朽ちることなくこの川柱が残っていなければ、昔の跡をどうやって知ることが出来ようか
その夜はくろとの浜という所に泊まる。片方は広い山になっていて、はるか向こうまで砂浜が広がっている。松が茂っていて、月がとても明るい。風の音がひどく心細いが、人々は風情を感じて歌を詠んでいるので私も作る。
まどろまじ 今宵ならでは いつか見む くろとの浜の 秋の夜の月
→今宵は一睡もしないことにしょう、今夜をおいていつ見ることが出来るだろう。くろとの浜の秋の夜
の月を。
早朝出発して、下総の国と武蔵野国の境にある太井川(江戸川)の上流の浅瀬、松里(千葉県松戸)の渡りの船着き場に泊まって、一晩中、荷物を舟で渡す。乳母は夫を亡くして、ここで子供を産んでいたので、出産の穢れを避けるということで、私たちとは別に上京することになっていた。私は乳母が恋しかったので、訪ねていきたくて居たら、兄が馬で連れて行ってくれた。
私たちの宿を仮の宿などというが、それでも風を防ぐために幕など引いてあるが、乳母の宿は雑な感じて、苫がふいてあるだけなので、月光が射し入っていた。乳母は赤い衣を着て辛そうに寝ていた。その様子は乳母という身分の低い者にないほど、上品に見えた。久し振りだったので私の頭を撫でて泣くのが、不憫で置いていくのが辛かったが、兄にせかされて別れるのが切なくてどうしようもなかった。
乳母の事が頭に浮かんで悲しく、月を見ても楽しくなかったので、ふさぎ込んで寝てしまった。
翌日の早朝、舟に車を載せて太井川を渡して、これより送ってきた人々は帰っていった。京に行く人も上総に帰る人も、皆泣いていた。子供心にもしみじみ悲しく思えた。
「コメント」
京への旅は、一族郎党・荷物と共なのでこれは大変。昔の旅の様子が偲ばれる。