200321 51「鴨長明の生き方とは」 ゲスト 女優/脚本家 中江有里
下記の部分について、講師とゲストが語り合う。
「冒頭の書き出し」
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にあるひととすみかも、またかくのごとし。
たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争える、高き、卑しき、人の住まいは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或いは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変わらず、人も多かれど、いにしえ見し人は、二、三十人がなかに、わずかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならい、ただ水のあわにぞ似たりける。
この冒頭の書き出し、更には五代災厄の描写は、写実的で臨時感があり特に「天暦の大地震」は、天声人語にまで引用されている。
「鴨 長明集」 和歌に関して 辛い恋の歌ばかりである。
「待て暫し漏らしそめても身の程を知るやと問わば如何が答えむ」 63番
→ちょっと待てよ。好きだと言うと、相手から身の程を知っているのかといわれてら、どう言おうか
「我はただこの世の闇もさもあればあれ君たに同じ道に迷えば」 69番
→私はこの世の地獄に堕ちても、あなたさえ一緒ならばかまわない
「恋しさの行く方のなき大空にまた満つものは恨みなりけり」 79番
→恋しくて恋しくてこの気持ちは大空に満ちている。満ちているのは恨みばかりである。
「磨墨のもとき顔にも洗うかなかく甲斐なしと涙もやしる」 81番
→泣いているので涙が落ちてする墨が薄くなってしまう。そうなるのを涙は知っているのだろうか。
「憂きながら杉野の雉(きぎす)声立ててさをとるばかりものをこそ思え」 93番
→辛いことだ。野の雉が鳴きながら飛び廻っているが、私はそれと同じだ。
「発心集」 長明の仏教説話集
巻5 4話 「亡妻現身(うつしみ)、夫の家に帰り来る事
ある男の妻の具合が悪くなり、髪の毛が暑そうだったので、夫はこよりで髪を束ねてやった。妻は死んだ。男はもう一度逢いたいと切に祈っていたら、ある夜妻が現れた。一夜を過ごして妻は帰るが、髪を束ねたこよりだけが落ちていた。荼毘に付したのに不思議なことであった。
巻8 8話 「老尼、死の後橘の虫となる事」
老尼が年老いて病気で忌野のとき、隣になっている橘の実を食べたいと、隣の僧に頼んだ。しかし僧は断る。たった二つか三つしか食べないのにと、老尼は怒った。老尼は極楽に生まれ変わりたいと修行してきたが、「こうなったからには、浄土に行けずとも、橘の実を食い尽くす虫となってやる」と言って死ぬ。僧が橘の実を取ると、全ての実に虫が入っており、仕方なく木を切ったという。
巻8 9話「四条の宮半物、人を呪詛して乞食となる事」
高齢の尼が、乞食となって歩いていた。そして言った。「昔は四条の宮に仕えていた。付き合っていた男が、国司となって地方に下るので一緒に行こうと言ってくれた。約束の時間になっても男が来ないので、聞くと既に妻と出発したということだった。女は貴船神社に百夜参篭して、たとえこの身が乞食となってもこの怒りを鎮めて下さいと祈った。着任した国司の妻が、風呂に入っていると天井から人の脚が出て、これを見た国司の妻は病みついて、やがて死んだという。
その結果、私はこうして乞食となってしまった。」
長明は色々な人間の有様、思いを描いている。
「コメント」
リズムのいい文章を書く、五代災厄を描写しても優秀なジャ-ナリストとして、また激しい成就しない恋をする男、人の心の機微を描いて、悪いことをしないように導く仏者として、多面的な人間で
あったのだと実感。