200314 ㊿「後代の評価」

方丈記の成立 建暦2(1212) 長明 58歳。62歳で没。

後代は全般的には好意的だが、中には問題視している者もある。大火、地震、大風など災害描写には定評がある。

「十訓抄」 鎌倉時代の説話集。

方丈記の冒頭を引用しながら、絶賛している。

念仏修行の合間に、琴、琵琶などを演奏して楽しんでいることは素晴らしい。

「文机談」 音楽説話集   音楽の歴史を対談形式で語るもの。

後世の人々は、この物語を楽しんで読んでいた。
「平家物語」

内裏炎上の場面は、「方丈記」 五大災厄の安元の大火の描写が使われている。

「閑居友」 鎌倉時代の仏教説話集。慶政上人作。先行の説話集にない話だけを収める。

基本的立場は、先行の説話集にない話だけとし、いわば伝記のある人々、伝え聞いた話を多く載せた長明の「発心集」を暗に批判している。谷崎潤一郎が影響を受け「少将滋幹の母」を書いたことで

知られる。

・伝記上の人々を載せていないのは、憚りがあるし、誰かが既に書いたことと言われるからだ。

また人はその人の事を知っているので、私はそうは思わないとかいろいろと意見が出てくる。

 

講師は無名抄 40話 榎の葉井(えのはい)を例に挙げて、長明の立ち位置を批判している。

天上人が78名で奈良に行った。由緒ありげな古寺があったので聞くと、豊浦(とゆら)寺という。

→最古の尼寺

 一同驚いて、それなれば榎葉井というのがあるはずと探しみつける。後日、後鳥羽院も参加される歌会があり、「古寺の月」が題であった。

「古りにける豊浦(とゆら)の寺の榎の葉井(えのはい)になお白玉を残す月影」と詠んだ。

これは催馬楽の歌の文句で誰でも知っているはずであるが、歌には作っていなかった。俊成がいい歌だと褒めてくれた。この後、皆が作るようになった。

 

かなり自慢げであるが、調べると先に作っている人が居た。和歌ではある意味問題はないことであるが、最初と自慢する事ではない。ある意味、盗用・著作権問題?

・「閑居友」の慶政はあまり信用できない人と見ていたのではないか。

・西行の山家集の歌には、取材が同じ歌が散見される。

・西行とは近しい関係であった。そして発信集 巻6 5話「西行が女子、出家の事」で、西行の娘の事を書いている。西行は何も言っていないのに、いわば個人情報の公開である。色々な意味で少し

軽率。

 

「コメント」

今回はオヤオヤという感じ。今まで感じていた長明への違和感をもっていた人もいたし、また講師も少なからずそうではないか。作品と人物の評価は別だから構わないが。