200201 ㊹「長明の執着と妄念(其の一)思い出の琵琶の撥
長明の執念に関する部分を見てみる。
「文机談・源家長日記」
熱望していた河合神社の神官になれず、長明は和歌所も辞して大原に隠遁してしまう。和歌所の同僚の源家長は偶然長明に会う。その時の長明は痩せ衰えて別人のようであった。「この世を嫌と思わなかったら、まだ浮世の闇の中にいただろう。お陰で闇から逃れられたと、言って泣いた。浮世を捨てたがまだ捨てきれないものがあると言って、琵琶の撥を見せた。これは後鳥羽院が長明の歌に返歌を記したものであった。墓にまでもっていく、生涯の宝だと言った。
長明が色々な事に執着を持っていたこと、色々に人の執着の例を長明の作品から紹介する。
発心集は、人間の執念を否定して、自由な心であるべきと主張するが、はたして。
「無名抄」
11番 石川や瀬見の小川の清ければ月も流れを尋ねてぞ澄む
→石川の瀬見の小川は清いので、月もこの流れを尋ねて来て、澄んで輝いて川面に映って
いる
歌合せの判者は、石川の瀬見の小川など聞いたこともないとして、負けとなった。しかし後に、故事にあると説明して、結果新古今和歌集に採用された。→得意満面、そしてしつこい。
「発心集」
巻1 8話 佐国、花を愛し長と成る事付、六波羅蜜寺幸仙、橘の木を愛する事
ある家で、色々な花が咲いていて蝶が沢山舞っていた。その屋の主は「亡き父は花が大好きで、詩を作ったりしていた。父が蝶になって遊んでいるのを、夢に見た。その後も花を植えて、蝶の好む蜜を
注いでいる。」と言った。
六波羅蜜寺の僧は、橘の木が大好きだった。その執念で蛇となって、橘の木の下にすんだという。
巻5 3話 母、女を妬み、手の指、蛇に成る事
或る年取った女房が「私と離縁してくれ、そして其の連れ子の娘が世話をする」と言った。男はとんでもないと言ったが、何度も繰り返すので、その言葉を聞くこととなった。その後その女房は、様子がおかしくなって、嫉妬を露わにした。
そして、親指が蛇に成っていた。三人でうち揃って出家してしまった。
長明は人の怨念、嫉妬、執着など心の禍々しい負の側面に目を向け、それは避けられないことで目を背けるべきではないという。
巻5 2話 伊家並びに妾、頓死往生の事
帝に仕えていた男は綺麗な女性と暮らししていたが、心移りしてその家に行かなくなった。ある時、女の家の前を偶々通りかかった。家は雑草が茂り、荒れ果てていた。家人が見つけて女主人に知らせると、呼んでくるようにいう。粗略にしたことを気にしながら男が家に入ると、女は法華経を読んでいた。昔より痩せたが、きれいであった。そして、心ならずもこうなったと弁解するが、女は応えない。女は法華経を読み終えると息絶えた。この男の気持ちはどんなだったろうか。
恋には色々な物語があるが、所詮は空しいものだ。執念はいつまでも続き、来世までも。
巻6 3話 堀川院蔵人所の衆、主上を慕い奉り入海の事
堀川院の蔵人の男は、院を敬愛していた。院が没すると西に追いかけていき、筑紫に至る。そして海に入水した。一般に死んだ後に、親しく側にいた人が自分事をどう思うか気になる。この男のような例もあるし、寵愛したのに全く顧みられないこともある。どういう風に人がなるか興味深い。死んだらもう一度行き返って、見てみたいものだ。
これらから、長明は執念、執着の強い人と言える。
「コメント」
古典講読なのか、陰々滅々たる世間話を聞いているのか。余り楽しくなくなった。「死んでしまえば、全て終わり」でないとすると、大変なことである。生きて地獄、死んで地獄ではないか。もうすぐ終わる。