200118 ㊷「長明と家族」(其の四)子を憶う(おもう)
方丈記で自分には、妻子もないので、捨てがたいものはないと書いている。しかしそうだったのか。
長明の著作集、兼好の徒然草に、妻子に関する部分を見てみる。
「鴨長明集」
背くべき浮世に迷う心かな子を思う道はあわれなりけり 88番
→この世を捨てなければならないと思うが、幼い子を見ると心は迷うことだ。
想い出でて忍も憂しや古をさは束の間に忘るべき身か 102番
→昔を顧みて、子供を思い出して辛くなる。束の間も忘れることが出来ない。
ここで歌っているのは、死んでしまった子供の事ではないのか
「発心集」
巻7 13話 斎所権介成清の子、高野に住む事
尾張にいた男が、大仏開眼(752年)を見て、発心して仏の弟子になって出家しようと決める。家族に黙って高野山に登る。しかし女を見ると妻を思い出し、幼い子を見ると我が子を思い出す。
巻1 6話 高野の南筑紫上人、出家登山の事
筑紫に住む金持ちの男が出家を決めて家族に黙って出ていく。近所の人がその異常さに気付き、家の者に告げる。娘はそのあとを追って、高野山の麓にすみ、一生その男の世話をしたという。
巻5 8話 中納言顕基、出家籠居の事
中納言顕基は後一条天皇に仕えていたが、この世を好まず白楽天の詩を歌い、朝晩、琵琶弾いて暮らしていた。そして「罪なくして、配所の月を見たいものだ」と言っていた。後一条天皇が亡くなって、「忠臣は二君に仕えず」と言って、比叡山に籠った。その後、大原に住んでいた頃、摂政関白藤原頼道(道長の子・宇治関白)が、訪れて話をする。帰り際に、中納言顕基は「お出でいただいて有難うございました。息子は出来の悪い人間です。」と言った。
関白は後で、この意味を覚った。「息子は出来が悪いので、宜しくお引き立て下さい」と。
関白は子供への恩愛は出家した人にも、捨てがたいものだと感じた。そして、バックアップしたので
その息子は大納言にまで出世した。
「徒然草」
五段
悩やんだり嘆いている人が、もののはずみで出家するよりは、死んでいないという風でだらだらと日を送っている人が理想的である。源中納言顕基が「配所の月、罪なくて見る事」と言ったのに共感する。
六段
身分の高い人も、まして身分の低い人も、子供などいない方がいい。身分の高い人の中にも「子孫などいない方がいい。出来の悪い子孫などいらない。」と言った人たちがいた。聖徳太子も、自分の
墓に手を入れて、子孫が入らないようにしたと伝わっている。
長明は、兼好法師と違って、子供への煩悩を認めている様に思える。
「コメント」
自分さえよければの身勝手な人たちのオンパレ-ド。夫々の人生であるレベルまで到達した後に、「ああ人生は無常だ」はないものだ。ある部分、人間の機微には触れているが、ある意味不愉快。