190928 ㉖「長明の出家と遁世」

 

十訓抄(じっきんしょう)鎌倉時代の教訓的な説話集。ここに出てくる鴨長明についての部分を説明する。

賀茂社氏人で、菊太夫長明という人がいる。この人は管弦の道に優れていた。下鴨神社の禰宜を望んだが、叶えられず世を恨んで出家し、大原に住んだ。出家の後、後鳥羽院から「以前のように和歌所に戻りなさい」との言葉を受けるが「沈みにし今更和歌の浦波によせばやよらん海士の釣船」と

歌って断った。

出家するならば、上皇のお言葉を断るくらいの覚悟でなければならず、中々立派なことである。

・この歌は、最初歌所の寄人として召し出された時、喜びの歌を詠んだが、これを踏まえている。

 十訓抄では長明のこの行動を誉めている。

・失踪し出家した長明を、後鳥羽院は見捨てていなかった。

・十訓抄及び家長日記から見ると、失踪以降後鳥羽院と長明との間に連絡があったことが伺われる。

「家長日記」 後鳥羽院に仕えた源 家長の日記。鴨長明の出家やその後を記してある。

後鳥羽院は、「手習い」という琵琶を長明は持っているはずなので、調べるように言う。そしてその結果、長明は其の琵琶に歌を添えて後鳥羽院に送ることになる。

・歌の大意 「琵琶をお返しするともう琵琶の音を聞くことは出来ないが、峰の嵐を聞いて過ごしま

 す。 琵琶の上には埃が溜まって払いたいが、袖が涙にぬれて払うことが出来ません。

・後鳥羽院は多芸であったが、特に管弦の琵琶に思い入れが強かった。

・後日談として、家長が大原に別用で行った時、偶然長明に逢う。その時の様子「長明は痩せ衰えて

 いた。そして世の中を恨めしいと思わなかったら出家などしなかったが、出家してみて本当に

 良かったと言って泣いた。そして世の中のことは捨てたが、世の中の絆としてこれを持っていると

 言って、琵琶の撥を見せた。家長は実に気の毒に思った。」

暫らく大原にいて、長明は日野の庵に移る。

 

「ろれつが回らない」 余談

 大原に呂川と律川というのがある。そして呂律というのは雅楽の音階を意味し、音階が合わないこと

 を「呂律が回らない」といった。後に意味が転化して意味がはっきりしない、舌がしっかり廻って

 いない酔っ払いや幼児の言葉を表す表現となった。

 

「コメント」

後鳥羽院にこれまで気を使ってもらっているのに、好意を踏みにじって出家し、隠れてしまう。俗世の欲もあるはずなのに、どうも理解できない人。全く甘ったれの坊ちゃんと思われて仕方ない。これは私が凡人で欲がありすぎるからそう思うのかもしれないが。