190629⑬「方丈の庵」其三

60歳で、日野山に方丈の庵を開く。

「朗読1 

「また、ふもとに一つの柴の庵あり。すなはち、この山守がをる所なり。かしこに小童あり。時々来りて、あひとぶらふ。もし、つれづれなる時は、これを友として遊行す。かれは十歳、これは六十、

その歳ことのほかなれど、心を慰むること,これ同じ。

或は茅花をぬき、岩梨をとり、零余子をもり、芹をつむ。或はすそわの田居にいたりて、落穂を拾ひて、穂組を作る。」

 

また、麓には一軒の柴の庵がある。それは、この山の番人が住んでいる所である。そこに、子供がいる。時々訪ねて来る。退屈な時には、この子を友として遊び歩く。この子は十歳、私は六十歳。都市はあまりにも離れているが、心を和ませるのは同じである。ある時は、ツバナを抜き、岩梨を取り、むかごをもぎ取り、芹を摘む。ある時は、山裾の田んぼで、落穂を拾って、穂組を作る。

 

・つれづれ  することもなく、退屈なさま。  同じような意味で「そうぞうし」があるが、これはものさみしいという意。

・茅花(つばな) チガヤの花穂。おやつ代わりに食べた。精力剤とも。万葉集にある。

チガヤ イネ科の多年草。

・零余子 むかご ヤマイモの付け根に生じる珠芽 食用

・穂組 稲の穂を乾かすために組んだもの

「朗読2

もし、うららかなれば、峰によじ上りて、はるかにふるさとの空を望み、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見る。勝地は主なければ、心を慰むるにさはりなし。

歩みわづらひなく、心遠くいたる時は、これより峰つづき炭山を越へ、笠取を過ぎて、或いは石間に詣で、或は石山を拝む。もしはまた、粟津の原を分けつつ、蝉丸の翁が跡をとぶらひ、田上川を渡りて、猿丸大夫が墓をたづぬ。帰るさには、をりにつけつつ、桜を狩り、紅葉を求め、蕨を折り、木の実を拾ひて、かつは仏に奉り、かつは家づとにす。

 

もし、のどかな日であれば、峰によじ登って、遠く故郷の平を眺め、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見る。この景勝の地は、所有者がいないので、心を慰めるのに何の問題もない。 

歩くのが苦にならず、遠くに行きたいときは、ここから峰伝いに炭山を越えて、笠取を過ぎて、ある時は石間寺に詣で、石山寺に参拝する。また、粟津の原を踏み分けながら、蝉丸法師の旧跡を訪れ、田上川を渡って、猿丸大夫の墓を訪ねる。帰る時には、時に応じて、桜を鑑賞し、紅葉を探し、蕨を折り取り、木の実を拾って、仏さまに供え、家への土産とする。

 

・故郷 長明の故郷は京都

・羽束師 巨椋池の港

・勝地 景色の良い所。

  白居易の詩の「勝地本来定主無」→素晴らしい景色には、持ち主などいないから、好きなだけ

    楽しめばいい。      これからの引用。

・石山寺  大津市石山にある真言宗の寺。良弁が開祖。月見で有名。紫式部、清少納言、和泉式部

  などが訪れた。

・粟津の原  琵琶湖の瀬田あたり?   「更級日記」菅原孝標の娘に 出てくる。

 彼女が父に従って、赴任地千葉から帰途、通った記述がある。

・蝉丸  平安前期の盲目の歌人・伶人。逢坂の関に庵があった。今も「蝉丸神社」がある。

百人一首「これやこの行くも帰るもわかれても知るも知らぬも逢坂の関」

・猿丸太夫 三十六歌仙の一人。平安初期。伝説的人物。

 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき  百人一首

・いえづと  家苞  家への土産

 

「朗読3

もし、夜静かなれば、窓の月に故人をしのび、猿の声に袖をうるほす。くさむらの蛍は、遠く槙の島のかがり火にまがひ、暁の雨は、おのづから木の葉吹く風に似たり。山鳥のほろと鳴くを聞きても、父か母かと疑ひ、峰のかせぎの近くなれたるにつけても、世に遠ざかるほどを知る。或は、また、埋み火をかきおこして、老いの寝覚の友とす。恐ろしき山ならねば、ふくろふの声をあはれむにつけても、山中の景色、折につけて尽くることなし。いはんや、深く思ひ、深く知らむ人のためには、これしも限るべからず。

 

もし、夜が静かである時は、窓の月に亡くなった人や旧友を偲んで、猿の声に涙ぐむ。草むらの蛍は、遠く槙の島の篝火と見間違う、明け方の雨の音は、木の葉に吹き付ける風の音に似ている。山鳥のほろほろと鳴くのを聞くと、父の声か母の声かと思い、山の鹿が近くで馴れているのにつけても、世の中から遠ざかっていることを知る。ある時は、埋火をかき起こして、老人の寝起きの友とする。恐ろしい山ではないので、ふくろうの声を趣深く聞くにつけても、山の中の趣は、時期に応じて尽きることがない。まして、深く考え、深く道理を弁えている人にとっては、これだけに限るものではない。

→もっと趣が深い。

 

・かせぎ 鹿

・和漢朗詠集・堀河百首・新古今和歌集・山家集・行基の歌などからの引用が随所に見られる。

「和漢朗詠集」 詩歌集、藤原公任選。白楽天らの漢詩文と、紀貫之・柿本人麻呂らの和歌を収め、    朗詠された。

「堀河百首」 堀河天皇側近歌人の作品百首。大きな影響を与えた。

「新古今和歌集」後鳥羽上皇の命で編纂。本歌取り、三句切れ、体言止めなど新古今風といわれた。

    藤原定家・・・。

「山家集」  西行の歌集。仏教的世界観、自然詠が特徴。

 

〇猿の声  故人を偲び、泣く

〇蛍→篝火  蛍は遠い篝火を連想させる

〇雨の音→木の葉の風

〇山鳥→父母

〇埋火→寝覚めの友

 

長明は、名文・名歌の知識を駆使して、文章を盛り上げている。

 

「コメント」

古今の名文・名歌の知識のない身としては、講師の解説なしでは、長明の苦労が分からない。

まさに猫に小判。さらに、それぞれの典拠を勉強する気力は残念ながらない。