190622⑫「方丈の庵」其二
方丈の庵は、生活・祈り・就寝の三つを満たす最小のものであった。今のワンル-ムマンションであろう。
朗読1 庵の周りの情景を述べている。
「その所のさまをいはば、南に筧あり。岩を立てて、水をためたり。林の木近ければ、爪木拾うに乏しからず。名を音羽山といふ。まさきのかづら、跡うづめり。谷しげけれど、西晴れたり。観念のたより、なきにしもあらず。
春は藤波を見る。紫雲のごとくにして、西方ににほう。夏は郭公を聞く。語らふごとに、資での山路を契る。秋は、ひぐらしの声耳に満てり。うつせみの世を悲しむかと聞こゆ。冬は、雪をあはれぶ。積もり消ゆるさま、罪障にたとへつべし。」
その場所の様子を述べると、南に筧がある。岩を組んで水を貯めている。林が近いので、薪にする小枝を披露には不自由しない。名を音羽山という。まさきのかづらが道を埋めている。谷は草木が茂っているが、西の方は見晴らしが良い。阿弥陀がいる西方浄土思い出す。春は藤の花を見る。阿弥陀来迎の紫雲のようである。夏は郭公を聞く。鳴くたびに、冥途の旅路を、道案内をしてくれるように約束する。秋はひぐらしの声が、耳いっぱいに聞こえる。はかないこの世を悲しむように聞こえる。冬は雪を愛でる。積もって消えていく様は、罪過に例えることができる。
・西方浄土
西は阿弥陀仏がいて、紫雲に乗って死出に迎えに来るとされる。よって、阿弥陀仏は西を背にして
いる。
・ 「日想観」 西に向かい、西方の極楽浄土を思い浮かべる修行がある。
・郭公 ホトトギス
平安時代、郭公の鳴く声を聞くのが流行。冥途への死出の道案内をするといわれていた。
・四季への言及
平安当時、四季の風情を語ることが流行る。枕草紙・源氏物語・・・・・
朗読2
「もし、念仏ものうく、読経まめならぬ時は、みづから休み、みずから怠る。妨ぐる人もなく、また恥づべき人もなし。ことさらに、無言をせざれども、ひとり居れば、口業を修めつべし。必ず禁戒を守るとしもなくとも、境界なければ、何につけてか破らん。」
もし、念仏が面倒臭く、読経するのが嫌な時は、自分から休み、自分から怠ける。それを妨げる人もいないし、恥ずかしく思う人もいない。わざわざ無言の業をする訳でもないが、一人でいるので口業という修行をすることが出来る。
必ずしも、仏教の戒めを守るということではないが、心を惑わすことが無いので、戒めを破ることはない。
・口業 仏語。三業(身業・口業・意業) 人間の行動を表す三業の一つ。言語による行為。
言語による逃れる為に、無言の業がある。
朗読3
「もし、跡の白波に、この身を寄する朝には、岡の屋に行きかふ船をながめて、満沙弥が風情を盗み、もし桂の風、葉をならす夕には、潯陽の江を思ひやりて、源都督の行ひをならふ。もし、余興あれば、しばしば松の響きに秋風楽をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。芸は、これつたなけれども、人の耳をよろこばしいめむとはあらず、ひとり調べ、ひとり吟じて、みづから情を養ふばかりなり。」
もし、船の航跡の白波に我が身を比べる朝には、岡の屋を行き交う船を眺めて、沙弥満生の歌の風流な心を盗み、もし、桂の木に吹く風が葉を鳴らす夕方には、白楽天が作った潯陽江の曲を思って、源経信の演奏に倣う。もし、気分が乗れば、何度でも松風の音に秋風楽を合奏し、水の音に合わせて流泉の曲を弾く。芸は、つたないけれど、他人の耳を楽しませる訳ではない。一人で演奏し、一人で歌って、自分の気分良くするだけである。
・跡の白波 沙弥満生の歌「世の中を何に例えむあさぼらけ漕ぎゆく舟の跡の白波」
万葉集巻3-351
沙弥満生のこの歌を、念頭に浮かべている。飛鳥奈良時代の歌人。大伴旅人と共に、筑紫歌壇の
一人。
令和の元号の出典となった大宰府での「梅花の宴」では次の歌。
「青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし」 筑紫歌壇は、酒大好きの人たちばかり。
大伴旅人「賛酒歌」
・岡の屋 山城国の巨椋池の港。現在は埋め立てられて、無い。
・桂の風
桂の薄い、ハ-ト形の葉が初夏の風に鳴る音を、愛でる習慣があった。
「コメント」
長明が万葉集の歌から、漢詩まで造形が深いことに驚く。又方丈の庵で、文芸を楽しみ、楽器を奏でて、すごしている様子が、浮かんでくる。