190413②「安元の大火」
方丈記はその前半で大災害を取り上げている。
・安元の大火
・治承の辻風
・養和の大飢饉
・京都の大地震
「安元の大火」
朗読1
予、物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおくれる間に、世のふしぎを見ることや、たびたびになりぬ。
いにし安元三年四月廿八日かとよ、風烈しく吹きてしづかならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で來りていぬゐに至る。はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、ひとよがほどに、塵灰となりにき。
私が、物事の道理をわきまえるようになった頃から、40年余りの年月を送っている間に、世間の、
予想もしない出来事を見ることが、度重なった。
去る安元3年4月28日であろうか。風が激しく吹いて、静かでなかった夜、午後8時頃、都の東南から
火事が出て、西北に至った。遂には朱雀門・大極殿・大学寮・民部省などまで燃え移って、一夜の
うちに、塵や灰になった。
・この文章からは、逆算して20歳の頃にものの心を知るようになったとあるが、当時としては相当
「おくて」である。神官の息子でいわゆる坊ちゃん。この頃、父を突然なくして後盾が無くなり
「みなしご」になったと自分を表現している。
・不思議を見たと言っているが、今の不思議ではなく、「思いがけない・信じられない」の意。
・新聞記事の5W1Hで、簡潔に書かれている。
・大極殿はこの時類焼し、再建されることはなかった。
朗読2
火本は樋口富の小路とかや、病人を宿せるかりやより出で來けるとなむ。吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすらほのほを地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねくくれなゐなる中に、風に堪へず吹き切られたるほのほ、飛ぶが如くにして一二町を越えつゝ移り行く。その中の人うつし心ならむや。あるひは煙にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまちに死しぬ。或は又わづかに身一つからくして遁れたれども、資財を取り出づるに及ばず。七珍萬寳、さながら
灰燼となりにき。そのつひえいくそばくぞ。
火元は樋口富小路とかいうことである。病人を宿泊させる仮小屋から出火したということである。
吹き乱れる風によって、あちこち燃え移っていくうちに、扇を広げたように、燃え広がっていった。
遠い家は煙にむせ、近い辺りは、ただただ,炎を地面に吹き付けている。空には、灰を吹き上げた
ので、火の光りに照らされて、風の勢いに耐え切れず、吹きちぎられた炎が、飛ぶように、1・2町を越えて燃え移っていく。 その中にいる人は、正気でいられようか。ある人は煙に巻かれて倒れ伏し、ある人は炎でたちまち死んでしまう。ある人は、体一つでやっと逃れても、財産を取り出すことも出来ない。珍しい宝物が、灰や塵になってしまった。その損害はどれほどであろうか。
・火事の情景を、臨場感を持って見事に描写している。
・「遠き」「近き」と対句を使って、リズム感を出している。
・「吹き迷う」 この語は絶妙である。
朗読3
このたび公卿の家十六燒けたり。ましてその外は數を知らず。すべて都のうち、三分が一に及べりとぞ。男女死ぬるもの數十人、馬牛のたぐひ邊際を知らず。人のいとなみみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作るとて寶をつひやし心をなやますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。
その際に公卿の家は16軒焼けてしまった。まして、その他は数えきれない。都全体のうち、3分の1
に及んだという。
男女死んだ者数十人、馬牛は際限がないほどである。人間の行いはすべて愚かであるが、
これほど危険な都の中に家を作ろうとして、財産を使い、苦労することは空しいことである。
・当時の平安京は1136町、左京と右京に分かれていた。主要な施設は左京にあり、右京は町作り
が未完成であった。
・焼けたのは、東京ド-ム60杯分。
・長明は、恐らく現地調査をしたのであろう。著作を通じて、数字には厳格で、正確に記している。
・最後の
「人間の行いはすべて愚かであるが、これほど危険な都の中に家を作ろうとして、財産を使い、
苦労することは空しいことである。」が、この安元の大火のまとめである。
「コメント」
前の講座の時も、長明は何とも甘ったれでまた経済的にもあまり苦労しない人生の感じで、話しても飲んでも楽しくないなとの印象であったと記憶する。違っていたら、御免なさい。