古典講読「『方丈記』と鴨長明の人生」 成蹊大学名誉大学教授 浅見和彦
190406①「ゆく川の流れ 序章」
鴨長明 久寿2年(1155年)~建暦4年(1216年) 62歳
平安末期から鎌倉前期の歌人。下鴨神社の禰宜の子。管弦の道にも通じた。和歌所寄人。のち出家し、方丈の庵で著作。「方丈記」「発心集」「無名抄(歌論書)」
この講座は筑摩学芸文庫「方丈記」に準拠して話す。
第一部 方丈記の全文を読む
第二部 その他の作品で、彼の人生や人間研究を行う
「この時代の特徴」
・源氏と平家の騒乱の時代であり、鎌倉幕府の成立。日本歴史の大規模な転換期。古代が終わり、
中世の幕開け。
・慈円(平安末期~鎌倉初期の僧。天台座主) 独特の歴史観を示した「愚管抄」がある。
その中で「保元の乱から世の中は変わった。武者(むさ)の生きる世になった」と言っている。
律令制に基づく宮廷政治(摂関政治)ではなく、武士が主導権を握る時代となったのである。
「災害」
平成の時代を表す漢字は「災」である。
平成3年 雲仙普賢岳大火砕流
平成7年 阪神淡路大震災
平成23年 東日本大震災
これは方丈記の時代と似ている。作者の鴨長明はこのような災害を正確に書き表し、日本最初の
災害文学とも言える。
「鴨長明の生きたところ」
京都下鴨神社の神官の子。境内に、糺の森があり、平安京造営前の山城の国の風情を残している。住んでいたのは吉田山(京都左京区、100m)の麓、ここに高野川と鴨川の合流する下鴨神社があるが、この付近に住んでいた。
ここの知恩寺に加茂社という社があり、この付近にカモ一族が住んでいた。
ゆく川のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
流れ過ぎていく川の流れは途絶えることがなく、元の水ではない。淀みに浮かんでいる水の泡は、
一方では消え一方ではできたりして、長い間留まっている事はない。この世に生きている人と住む
場所とは、またこの流れと泡のようである。
・古典、和歌で「ゆく川」という表現は少ない。通常は「ゆく水」である。川は行くので、わざわざ言う
必要はない。 和歌の例 「ゆく水に数書くよりもはかなきは思わぬ人を思うなりけり」
長明は、接頭語的に使い、出だしを柔らかくしている。
・「うたかた」は、一般には使わない雅語(雅言とも言い、和歌に用いる言葉)であり、泡・泡沫・あぶくでは俗言となり綺麗な表現とならない。あえて「うたかた」としたのである。
・「かつ~かつ」 かつという同音を反復することにより、うたかたが消え・生まれるという状況を表している。
文学の場合、書き出しは作品の全体像を表し重要である。名作の書き出しを見てみよう。
(源氏物語)
いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらねが、
すぐれて時めき給ふありけり。
どの帝の時だったか。女御や更衣が沢山お仕え申し上げていた中に、それほど高貴な身分でない方で、とても帝のご寵愛を受けていらっしゃった方があった。
人間の愛欲を書き連ねていくには、このような文体の書き出しが必要となる。
(枕草子)
春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
夏は夜。
月の頃はさらなり、闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。
また、ただ一つ二つなど、ほのかに光りて行くも、をかし。
雨など降るも、をかし。
春はほのぼのと夜が明ける時がとても素敵。
段々と辺りが白んで、山のすぐ上の空がほんのりと明るくなって、淡い紫色に染まった雲が細くたなびいて様子がよい。
夏は夜。
月が出ていれば勿論、闇夜でも、蛍がいっぱい飛び交っている様子。
また、ほんの一つ、二つ、ほのかに光っているのもよい。
雨の降るのもよい。
清少納言の切れ味のいい出だしも、また格別である。彼女の感性が情景を端的にとらえている。
(平家物語)
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、
ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。
仏教の因果感・無常観を滲ませながら、歴史・時代が移り変わっていく情景を描いている。これから始まる源氏と平家の大騒乱の出だしとして、リズム感もあり、次の展開を予告している。調子のよい和漢混交文である。
方丈記の書き出しは、これらの名作と肩を並べる美しい書き出しである。
言葉に「ゆく」という接頭語的な用法で、文章を整え、「かつかつ」というリズミカルな言葉を使って風景を見事に写し取っている。鴨長明の文章技法である。
「朗読」2
たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まれるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
玉を敷き詰めたように美しい都の中に、棟を並べ、屋根の高さを競っている、身分の高い者や、
低い者の住まいは、時代が経っても無くならないものだけど、これはそうなのかと調べると、昔から
ある家というのは稀である。あるものは去年焼けて今年作っている。あるものは大きな家だった
のが落ちぶれて小さな家になっている。住んでいる人も同じである。同じ場所で人も多いが、
昔会ったことのある人は、2、30人の中で、わずかに1人か2人である。朝に死に、
夕方に生まれるという世の中の定めは、水の泡に似ている。
・微妙に言葉を変えて使っている。文章技術である。
うたかた→泡
「朗読3」
知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いわば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
私にはわからない、生まれ死んでゆく人は、どこからやってきて、どこに去っていくかを。またわから
ない、生きている間の仮住まいを、誰のために心を悩まして建て、何のために目を嬉しく思わせよう
とするのか。その家の主と家とが、無常を争うかのような様子は、言うならば朝顔とついている露と
の関係と違いない。あるときは露が落ちて花が残ることがある。残るとは言っても朝日を受けて
枯れてしまう。あるときは花がしぼんでも露が消えずに残っていることもある。消えないとは言っても
夕方を待つことはない。その前に消えてなくなってしまう。
・「知らず~・また知らず~。」は倒置法。和文というより漢文的表現である。
・「いづからより来りて、いづかたへか去る。」
対句で、和文にも使うが漢文に多用される表現。強い・硬い表現で、和文の中に対句を使うこと
で、文章の骨格を整えている。
「コメント」
千年も前の人が、和文・漢文を使いこなして、世の中の無常観を描いていくのには驚嘆する。
それも人生50年の中で。
現代人は勉強不足か、他にやることが多すぎるのか。それともこのようなことが出来る人は
限られた恵まれた人々なのか。さあ、一年間の長丁場である。