こころをよむ「これが歌舞伎だ」                 金田 栄一(歌舞伎研究家・元歌舞伎座支配人)

160403「歌舞伎キ-ワ-ドあれこれ」

 

「黒衣」 くろご と読む。黒子ではない。黒子ではほくろになる。

歌舞伎の舞台には黒衣(くろご)という不思議な存在がある。黒い衣装に身を包んで顔を黒の紗幕で隠して芝居の途中で登場してくる。勿論出演者ではない。芝居の途中で何かを持って来たり、或いは不要になった物を何気なく仕舞ったり、様々な役割を果たすが、特に外国人や初めて見る人には違和感が有るかも知れない。この黒衣を裏方或いはそういった特殊な

専門職という風に考えている人も多いが、実はこの人たちも俳優で、その舞台に登場している俳優の弟子である。

簡単な仕事と思うかもしれないが、舞台の進行、芝居の中身、そしてここに登場している俳優の色々なタイミングや癖などを呑み込んだ上で、素早くその職分を果たすので、やはり芝居心、演技力、そして熟練の経験を必要とする。黒衣を 

クロコ と呼ぶ人もいるが、クロゴと言って欲しい。

歌舞伎の場合、黒と言うのは見えても見えないという約束事になっている。歌舞伎の舞台では不要になった物をいつまでも舞台に置いておくという事をしない。例えば木戸などはさりげなく片付けてしまう。切られて死んだ人物など舞台に横たわっていたら、次の芝居がやりにくいので、黒衣が黒い幕(消し幕)を持って、舞台の袖に隠してしまう。そうすることで、

舞台がいつもすっきりとして、その後の芝居がスムーズになる。

この様に歌舞伎と言うのは、理屈に合う、合わないは別にして、都合よく約束事を作っているのである。

 

「後見」

黑衣と同じような役割であるが、舞踊の場合は紋付或いは裃姿で、後見として舞台上のサポ-トをする。これは黒衣だと

却って目立ってしまう。舞踊、或いは歌舞伎十八番などの様式性の高い舞台で、俳優が扇子を落としたとする。そして無造作に拾って手渡すわけにはいかない。踊りのどこのタイミングで渡すか判断するが黒衣だと余計際立ってしまう。舞踊の後見というのも大変である。その舞踊の全てを呑み込んでいないと出来ない。例えば踊りも出来なければならない。

「道成寺」とか「鏡獅子」とかそういった大曲を全て頭に中に入れて、自分でも踊れる力量がないと務まらない。

 黑衣といい後見といい、まさしくプロの技である。

  

「馬の足」

馬の足と言うと、駆け出しの未熟な役者の役割と思うかもしれないが、歌舞伎における馬の足と言うのは、これも又熟練の技術がないと出来ない難しい仕事である。竹を素材として軽量になるように作られているが、鎧を着た人を乗せるので大変な重さとなる。又前足はいいが後ろ足の視界は自分の足下だけで、先が見えない中で演じるのである。

歌舞伎の舞台に馬が登場する演目、これも色々あるが特に近年、馬が大活躍する舞踊劇がある。「馬盗人」というのがあるが、馬か女性のように色っぽく演技をしたり、最後の花道の引っ込みでは、まさしく「勧進帳」の弁慶のように、飛び六方で引っ込むので客に大受けする。これを演じる馬の足は大変である。こういった馬の足を演じる俳優には特別手当が出る、飼葉料という。

 

「初日と千穐楽

この言葉を使うのは歌舞伎を始めとする演劇、大相撲がある。 

初日という言葉には、出演者・スタッフと云った人たちが準備を重ね、稽古繰り返して漸く初日を迎えたというある種の晴れがましさがある。そして客の方も初日というものに拘る場合がある。特に襲名披露の様な記念興業、こういったものだとある種の歴史の生き証人というのか、その初日を見たというのが大きな記念になる

千穐楽という言葉は、出演者にとって達成感とか安堵の気持ちが感じられるが、今では次の公演が控えているので、

気分に浸る余裕がないのが普通であるが。歌舞伎の初日、千穐楽には俳優同志、或いは会社や劇場のスタッフなどの関係者が、それぞれの部屋を回って「初日おめでとうございます」「千穐楽おめでとうございます」と挨拶を交わす。何故このような挨拶を交わすのか。今では初日・千穐楽を迎えるのは当然のことであるが、江戸時代では幕府などの介入で上演差し止め等があり、また興業の不振や火災など色々な事故で幕を開けられない、中断などが頻発した。こういった歴史から来た習慣であろう。

千穐楽の語源はいくつかの説があるが、中でも雅楽に「千秋楽」という曲があり、これが一日の終りに演奏されることから来ていると言われている。大相撲では一般的な表記は千秋楽であるが、歌舞伎では千穐楽。これは江戸時代に多くの芝居小屋が火災に見舞われ他ので、火という字を忌んで千穐楽としたのである。

 

「掛声」

歌舞伎の芝居の途中で客席から掛け声がかかる。この掛け声に関して質問を受けることがある。上演中に大きな声で「~屋」という声が掛かるので、外国の人は何事かと驚くが、この掛け声が芝居を盛り上げる重要な役割を果たしている。

 この掛け声は誰でも掛けられると思われるが、実は芝居の中の一寸した間でタイミングよく掛ける必要があるので、基本的には大向うといわれる同好の会員のメンバ-の人が三階席から掛けるという決まりになっている。芝居の三階席というのは、そこに芝居の常連や芝居通と言った人々が集まるので、そういった人達をある種の尊称を付けて「大向う」と言う様になった。 

現代は劇場公認の同好グル-プ、その会員の方々を指して、狭い意味で「大向うさん」という言い方をしている。そして掛け声の内容というのは、基本的には「~屋」つまり、その俳優の屋号を掛けるのが基本である。その他にも色々な

バリエ-ションがある。

・「~屋」 屋号が基本

・「~代目」

その人が~代目というのではなく、名優であった先代、先々代、そういった名人名優に負けない位、当代の人が 

見事な演技であるという意味を込めて掛ける。 

・「待ってました」「ご両人」

  単なる人気役者ではなく本当に客を酔わせる名優、そして人気の二人それが揃った時にこそ掛る掛け声である。

 

「イヤホンガイド」

これは芝居を観ながらその芝居の解説を聞くことが出来る便利なものである。スト-り-や物語の背景そして登場人物や俳優についてなど色々な豆知識を、芝居を観ながら聞くことが出来る。芝居の進行に合わせてくれるので便利である。

歌舞伎には独特なセリフ回し、義太夫や長唄などの音楽、様々な約束事があるので、初心者ばかりでなく経験者にも

大いに役立つ。

 

「歌舞伎のカプセル化」

歌舞伎と言うのは江戸時代の日本人が考え、色々なアイデア、洒落の精神が様々な所で発揮されて本当に面白く出来あがっているが、しかし明治以降すべてが欧風化していく中で、歌舞伎は一種カプセルの中に取り残されたままでなかったかと思われる。カプセルに入っていたお蔭で中身が変化しなかったが、逆に中身が今では良く分からなくなってきている。

だから歌舞伎は明治大正昭和を通じて分かりにくい、荒唐無稽といわれてきた。カプセルに穴をあけて中身を見せてくれるのがイヤホンガイドなのである。分かってくれば結構面白いではないかと感じた人も大勢いる。

 

「字幕ガイド」

こういうものも出来てきた。小さな端末のモニタ-画面にセリフや解説と言ったものが文字で表示されるので、セリフを文字で詠む違った楽しみ方がある。

 

「歌舞伎座と言う劇場」

歌舞伎座といえば日本を代表する劇場で歌舞伎の本拠地であるが、多くの人が歌舞伎と言う伝統芸能を守る目的で建てられたと思っている。しかし振り返ってみるとこの劇場のスタ-ト時の理念は違っていた。歌舞伎座が最初に開場したのは明治22年。この建設を提唱したのは福地桜痴(歌舞伎改良に尽力、活歴劇運動指導者) 旧来の日本の演劇を欧風化しようとする運動の推進者。歌舞伎座建設の目的は、明治政府の政策によって、江戸時代から続く荒唐無稽な低俗な

大衆迎合の歌舞伎を打破して、西欧に倣った近代的な高尚な演劇文化を目指す目的を持っていた。

そして当初予定されていた劇場の名前は改良座或いは改良演劇場であった。しかし紆余曲折の中で結局歌舞伎座に

落ち着いた。これがこの劇場の方向を運命づけた。歌舞伎座と言うと、コ-ヒ-屋という喫茶店、着物屋という呉服店と

同様に当時は奇妙な名前であった。歌舞伎座設立の目的であった演劇改良運動が後、急速に勢いを失う。この強力な

実行者であった九代目市川團十郎は活歴物(史実に忠実な筋書きでの演目)を上演していたが、大衆に不評で次第に

旧来の古典歌舞伎に方向転換していく。最初の歌舞伎座は当時の欧風化の影響で、西洋風の作りになっていた、明治44年に純日本風の唐破風作りに模様替えする。この劇場は大正10年火災で全焼、再建途上に関東体震災の被害を受けたが大正14年に完成。 

これも昭和20年の東京大空襲で全焼、第4期歌舞伎座は昭和26年に完成。更に2013年、今の第5期歌舞伎座が完成

した。