.こころをよむ「漢詩に見る日本人の心」                 宇野 直人(共立女子大学教授)

150614⑪「士族の誇り~西郷隆盛」

「西郷隆盛」

幼名小吉、通称吉之助、号は南洲。家は下級藩士で生活は苦しかった。幼少より読書勉学に親しみ、18歳で出仕し農業政策に係わる。

時の藩主島津斉彬に認められ御側役として国事に奔走。しかし斉彬の死後、次の藩主の久光に疎んじられ、島流しとなる。斉彬と久光は藩主を争ったひと。このお家騒動の時、西郷は大久保利通と共に斉彬に付いた。その後公武合体から尊王攘夷、討幕派の中心として王政復古、江戸城の開城などに活躍。明治政府の成立後要職に就くが、征韓論に敗れ、郷里に帰る。郷里で教育に携わるが、推されていわゆる九州の不平士族の象徴として西南戦争に突入。破れて自害。50才。そもそも明治政府の政策は武士階級に不満を生じるもので、廃藩置県・俸禄の停止・廃刀令・徴兵制による軍事活動の停止など不満が高じていた。西郷の詩は、自分の人生観や抱負を明確に詠みこんで剛直なものが多い反面、内省的で繊細なものもある。詩を作り始めたのは、配流(沖永良部島)の時の30代。

   沖永良部島謫居中作  七言律詩

沖永良部島 謫居中の作  沖永良部島に追放されて詠んだ詩

朝蒙恩遇夕焚坑  (あした)には恩遇(おんぐう)(こうむ)り (ゆうべ)には焚坑(ふんこう)    朝には手厚い待遇を頂き 夕べには迫害される

人世浮沈似晦明  人世(じんせい)の浮沈 (かい)(めい)に似たり        人の世の浮き沈みは夜と昼の変化の様だ

縦不回光葵向日  (たと)い光を(めぐら)さずとも (あおい)は日に向う    たとえ太陽がささないでも ふゆあおいの花は太陽の方を向く

若無開運意推誠  ()し運を開く無きも 意は誠を()す     もし運が開かなくとも 我が心は誠を尽くすのみだ

洛陽知己皆為鬼  洛陽の知己(ちき) 皆 ()()り           京都の同志たちはことごとく 死んでしまい

南嶼俘囚独窃生  南嶼(なんしょ)俘囚(ふしゅう) (ひと)り生を(ぬす)む        南の島の囚人だけが生き残っている→自分の事

生死何疑天付与  生死 何ぞ疑わん 天の付与なるを    生きるか死ぬかは天が決めることで疑いもない

願留魂魄護皇城  願わくば魂魄を留めて皇城を護らん    わが魂をしっかり留めて 帝をお守りしたい

1~2句  自分の境遇が激変したこと。斉彬の厚遇、久光の冷遇を意味する。

3~4句  この様な中で自分の心は変わらないとしている

5~6句  ここまでの生涯を振り返っている  同志は死んで、自分だけ生き残っているという後ろめたさ。  

7~8句  結論。天命に従うが、帝をいつまでも守るという志で結ぶ。

・焚坑  焼かれたり、穴に埋められること。ここでは迫害されるという意味。

・葵   フユアオイ  この花は常に太陽に向かって咲くことから、帝への忠誠心を表す。司馬光の詩に「葵花、日に向かって咲く」と

ある事からの引用

・洛陽  中国の古都を指すがここでは京都の異名。

   題楠公図  七言絶句  

(そん)(こう)の図に題す   楠 正成の肖像画に詩を書きつけた

自分の心を「建武の中興」の後醍醐天皇に従った楠正成に重ねて、忠義な心を歌っている

奇策明籌不可模  奇策(きさく) 明籌(めいちゅう) 模す()からず         思いがけない策略や戦法は真似が出来ない

正勤王事是真儒  (まさ)王事(おうじ)に勤む 是れ真儒(しんじゅ)         ひたすらに帝の為に務めるのが 真の儒者である

懐君一死七生語  (おも)う 君が一死(いっし)七生(しちせい)()           君が弟と交わした「七たび生まれ変わって朝敵を滅ぼす」という言葉

                                         を思う

抱此忠魂今有無  此の忠魂を抱く 今 有りや無しや     この様な忠義な心を持つものが今 いるだろうか

・楠公  楠正成  後醍醐天皇の「建武の中興」に尽力。湊川の戦いで足利尊氏に敗れ戦死。子の正行と共に有名。これで

            足利幕府が成立。

・真襦  まことの儒者 正統と異端を区別して、筋を通す人

   感懐  七言絶句

明治維新のなってからの作。幼馴染の大久保利通への手紙の中の詩。要職に就いた人が華美な暮らしをしていることを警告している。

4句は、これだけで有名になった。「児孫の為に美田を買わず」

幾歴辛酸志始堅  幾たびか辛酸を歴て 志 始めて堅し   どれほどの辛酸をなめて 志は堅いものになっただろうか

丈夫玉砕恥甎全  丈夫 玉砕すとも 甎全を恥づ       立派な人はたとえ命を捨てても 安全にだけ生きることを恥じるものだ

我家遺事人知否  我が家の遺事 人 知るや否なや     我が家の代々の遺訓を 人は知っているだろうか

不為児孫買美田   児孫の為に美田を買わず         それは子孫のために美田を残さないという事だ

・感懐  心に感じた思い

・玉砕  節を守り、潔く死ぬこと

・甎全  かわらのように詰まらないが安全な事  なすべきこともなくただ生きていることの例え

   失題  五言律詩  官を辞して

47才の頃 征韓論に敗れ官を辞した時の心境を詠んでいる。内省的で繊細な詩である。

雁過南窓晩  雁は過ぐ 南窓(なんそう)の晩         雁が渡っていく 南の窓の向こうを

魂銷蟋蟀吟  (こん)(しょう)す 蟋蟀(しつしゅつ)の吟         心は滅入ってしまう コオロギの鳴き声を聞きながら

在獄知天意  獄に在りて天意を知る        かって流刑の時には天命を理解したはずなのに

居官失道心  官に居りて道心を失う        新政府に仕えてから道義心を忘れてしまったのか

秋声随雨到  秋声(しゅうせい) 雨に(したが)って到り       秋の寂しい音が雨と共に伝わってくる

鬢影与霜浸  (びん)(えい) 霜の(ため)に浸さる        我が髪は霜の様に白くなった

独会平生事  (ひと)り会す 平生(へいぜい)の事          一人で今までの事を思いだし

蕭然酒数斟  蕭然(しょうぜん)として 酒 (しば)(しば)()む      淋しい気持ちで 酒を何杯も飲んでしまう

1句~2句  秋の夕暮の眺め  見えるもの、聞こえるもの、これに引き起こされる感傷を詠んでいる

3句~4句  これまでの自分の人生を顧みている

5句~6句  雨が降って益々気分が落ち込む  影→水や鏡に映った自分の姿

7句~8句  少し気を取り直して悟り、諦めの境地となる

・魂銷   悲しみや喜びの為に自分を失う事

・蟋蟀   こおろぎ

・道心   道徳心

・平生   日頃 または昔の事

   辞官作  七言絶句  征韓論に敗れ、辞職した時の詩

官を辞するの作

山老元難滞帝京  (さん)(ろう) (もと) 帝京に(とどこお)り難し       山住まいの私は 東京に居続けるのは無理だった

絃声車響夢魂驚  絃声(げんせい) (しゃ)(きょう) ()(こん)驚く           宴会の嬌声 車馬の響きに 夢を追っていたのか

垢塵不耐衣裳汚  (こう)(じん) 耐えず 衣裳の(けが)るるに     浮世の穢れに 穢れるのが辛かったが

村舎避来身世清  村舎(そんしゃ) 避け来って(しん)(せい)清らかなり    村里に逃げ帰って この身はさっぱりした

(前半)

東京暮らしの違和感、わずらわしく、贅沢で無駄な社交への嫌悪感  しかし自分もそういう夢を追っていたのかもしれない

(後半)

この様な東京の穢れに耐えられず郷里に帰って清々とした 

・山老  山に隠居する老人

・絃声  宴会の嬌声

・垢塵  穢れた東京の事を垢と塵に例えている

   温泉即景  七言絶句

温泉の即景  温泉で目にしたままの光景

幽居夢覚澹茶煙  幽居 夢覚めて 茶煙澹し            静かな生活 夢から覚めたら 茶をほうじる煙がたなびいている

霊堺温泉洗世縁  霊堺の温泉 世縁を洗う             厳かな山の温泉は 世の中の煩わしさを洗ってくれる

地古山深静如夜  地古く 山深くして 静なること夜の如し    この温泉の由来は古く 山の中にあり 昼間でも夜の様に静か

不聞人語只看天  人語を聞かず 只 天を看る           人の声は聞こえず ただ私は空を眺めている

この詩は、帰郷してから西南戦争までの3年間の暮らし。畑仕事、狩り、教育、山歩きなどの時期を詠んでいる。

・即景   眼前の景色をそのまま詠むこと

・茶煙   茶をほうじる煙  ()(ぼく)(唐の詩人)の詩に使われている故事

・人語   王維(おうい)(唐の詩人)の詩に、山の中の静かさを詠んだ有名な作品に出て来る語

・世縁   世の中の煩わしさ

 

「まとめ」

・彼の詩は、その詩が作られた時々の心境を率直に映し出している。

・特に辞職した直後の作品に見られる「東京及びそこの人々への嫌悪感の深さ、拒否反応」は、西南戦争に至る心の内を垣間見る思いがする。

・従って西郷の漢詩を年代順にたどれば、其の伝記の部分がその感情によって裏づけされる。生の声で裏付けされた伝記となる。

・読んでいると西郷隆盛に対する親近感と尊敬の念が湧いてくる。今日なお、多くの人に敬愛されている理由が分かる。